ワールドカップのゴミ拾いは本当にダメなのか?

こんにちは、巻島です。

今回は、ワールドカップのゴミ拾いは本当にダメなのかを話していきます。

アルゼンチンの優勝で幕を閉じたカタールワールドカップ

このカタールワールドカップで日本人サポーターが行ったゴミ拾いが称賛されています。

しかし、このゴミ拾いに対して批判的な意見もありました。

日本人サポーターのゴミ拾いが批判されている理由としては、ワールドカップの会場で働いている現地の清掃員の仕事を奪っているという理由です。

私はこの理由に対して、正直素直に納得していません。

確かに、日本人サポーターがゴミ拾いをすることでゴミが無くなり、ワールドカップの会場で働いている清掃員がする仕事は減ると思います。

しかし、清掃員がする仕事が減るからと言って、清掃員の仕事を直接奪っているというのは言いすぎです。

さらに、清掃員の仕事を奪っていると主張している人たちは実際にワールドカップの会場で働いている清掃員の人たちやワールドカップの運営の人たちではありません。

清掃員の仕事を奪っていると主張するのであれば、まず現場で働いている清掃員の人たちの声を聞いてから主張するべきです。

また、本当に清掃員の人たちの仕事を奪っているのであれば、ワールドカップの運営はワールドカップの会場でゴミ拾いはしないでくださいと公式発表するかもしれません。

しかし、ワールドカップの運営はゴミ拾いを禁止にするような発表をしていません。

むしろ、ワールドカップの運営から日本人サポーターが行ったゴミ拾いに対して表彰をしています。

ワールドカップの運営がゴミ拾いを禁止していない以上、清掃員の仕事を奪っている意見はおかしいのではないでしょうか。

また、世界中の人々が見ているワールドカップでゴミ拾いをする人は見返り欲しさにゴミ拾いをしていて、日頃から地元のゴミ拾いなどをしていないという意見もあります。

確かに、ワールドカップでゴミ拾いをしている人が日頃からゴミ拾いをしているかどうかは分かりません。

さらに、ゴミ拾いをした人は誰かに称賛されたくて、ゴミ拾いをしたのかもしれません。

しかし、そのワールドカップでゴミ拾いした人にとって、見返りを求めようが求めまいが、ボランティアをしたことに変わりありません。

自ら進んでゴミ拾いなどのボランティアをしたことで、人間の脳にはオキシトシンと呼ばれる幸せホルモンが分泌されます。

このオキシトシンと呼ばれる幸せホルモンはアドレナリンよりも依存性と持続性が高いホルモンです。

このオキシトシンの力は絶大で、次もその次もボランティアなどをしようという意欲を与えてくれます。

つまり、脳科学的な観点で見ると、ゴミ拾いをしようとした時点で見返りを求めようと求めまいがそこまで変わりません。

たとえ、ワールドカップのゴミ拾いで見返りを求めていたとしても、その行動がきっかけで見返りを求めないボランティア精神に目覚める人が多くなる可能性もあります。

確かに短期的な視点から見れば、ワールドカップのゴミ拾いは清掃員の仕事を減らしてしまうかもしれません。

ただ、長期的な視点から見れば、ワールドカップのゴミ拾いはボランティア精神を持った人が生まれるきっかけにもなります。

ワールドカップのゴミ拾いを批判する前に、広い視野で考えるべきです。

また、もし仮にワールドカップでゴミ拾いをしている人の姿がなくなれば、誰かがゴミ拾いをしてボランティアなどをしようと目覚める人が少なくなってしまうと思います。

これでは、人類や世界にとっても大きなマイナスです。

また、ゴミ拾いが清掃員の仕事を奪うと言いますが、このワールドカップで働いているのは移民労働者です。

カタールでワールドカップを開催するために、多くの移民労働者が働いていました。

しかし、この移民労働者の労働環境は劣悪で、多くの移民労働者が亡くなっているそうです。

ワールドカップのゴミ拾いが清掃員の仕事を奪うと批判する前に、このワールドカップ開催の裏で多くの移民労働者を死なせてしまった劣悪な労働環境に批判するべきです。

私はゴミ拾いだけに対して批判している人たちの主張は偽善に聞こえてなりません。

もっともっと大きな視点で考える必要があると思います。

今回は、ワールドカップのゴミ拾いは本当にダメなのかを話していきました。

今回は以上です。

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